当時5歳と1歳11か月の男の子を連れ、2019年12月からフィリピンのドゥマゲテでスタートした親子留学はコロナの影響で2020年5月10日で終了しました。
当初の予定は2年、子供たちの英語の習得が早ければ1年で帰国する予定(1年間は帰国しない!と強く決めていました)でしたが、コロナだから仕方ない。
現地の学校は3月から休校になり、この記事を書いている8月もまだ子供たちは外出禁止令が続いています。
初めは学校の再開を待つ予定でいました。
しかし持病を持つ母がたまたま遊びに来たタイミングでのロックダウン。
薬が手に入らずまたこの緊急時に一人での帰国が難しくなってしまいました。
また外出にはパスが必要で、英語でコミュニケーションをとれる家政婦さんも通ってこれないし、学校もないし、このまま現地にいても生活費がかかるだけだと思い全てを引き払い帰国することになりました。
現地の学校に通ったのは約2か月間
学校に通ったのは1月お正月明けから3月中旬の正味2ヶ月間でした。
2歳になったばかりのRyutaはすっかり馴染んで、スナックタイムを楽しみに毎日学校に通っていましたが、英語でコミュニケーションが取れない5歳Sotaは1か月ほど経った頃から学校に行きたがらなくなりました。
2月は無理にでも行かせようと頑張っていたのですが、あまりに嫌がるので学校はRyutaだけ通って(たくましい)、3月からSotaは家庭教師に切り替えました。
Ryutaは2ヶ月の学校生活(10~12時)では特に問題なく、先生の指示も分かっているようでした。
Sotaも学校に行っている時は課題にも取り組んで頑張っているようでしたが、日本に帰りたいと何度も言っていました。
私が帰国しないと決めていた理由は戻りたくなくなると分かっていたから
私が2年ないし1年間は絶対に帰国しないと決めていた理由は、日本に帰ってしまったらドゥマゲテに戻ってくるのが嫌になるのが分かっていたからです。
「英語を習得する」と言う目的があり「3人の間で英語で会話できる」と言う目標がありました。
そのためにフィリピンに子供2人を私1人で連れてきたわけですが、かなりの覚悟が必要でした。
ちょっとでも甘えてしまったらこの覚悟は簡単に揺らいでしまうほど、私には厳しい環境でした。
日本は本当に恵まれた国です。
- 街がキレイです。
- トイレもシャワーも水圧が強いです。
- ホスピタリティやサービスが一流です。
- 市場で毎回ぼったくりされません。
- タクシーで毎回交渉は必要ありません。
- 歩けばそこら辺に物乞いがいて、子供が手を出してきません。
- 家の中でアリと共存する必要がありません。
- 一日に10匹のゴキブリと出会うことはありません。
- 約束を平気ですっぽかしたり遅れたりしません。
- 買ってきたその日に扇風機が壊れたりしません。
あげるとキリがないですが、私は日本が嫌な訳ではなく「英語」と言う目的だけのためにプチ移住したので「我慢」しなければならないと感じることがたくさんありました。
このまま永住したいと話すママ友の気持ちが全く理解できませんでした。
日本に帰国することが決まってからは、日本で英語教育、特にお家での英語学習をいかに効率よく続けるか、たくさん考えたり調べたりしました。
Sotaがフィリピンに帰りたくない理由
ずっと日本に帰りたいと言っていたSotaにも理由を聞いてみました。
トライシクルに乗って街を走っている時にゴミがそこら辺に捨てられているのを見て、物乞いする子供たちを見て、「フィリピンに生まれなくて良かった」そう言いました。
フィリピンを卑下するわけではなく、私は「日本に生まれて恵まれた環境に自分がいる」のだと身をもって分かったんだと感じ、素直に嬉しかったです。
これはテレビや本で貧しい子供たちが世界にはいてご飯もろくに食べられない現実をいくら伝えても実感できない事が、自分の目で見ることで一瞬で理解できたとも言える事ではないでしょうか。
これは私が見て感じたことですが、学校で英語が分からない上にお友達の主張が強すぎるため、Sotaには合わなかったのかなと思います。
次の留学はどうする?
また別記事で書きたいと思いますが、先日まで「次」は全く考えていませんでした。
日本でパルキッズやキッズデュオ利用してれば英語力が付くと確信したから。
でもやっぱり異文化に触れたりする環境は欲しいなと感じています。
試しにSotaに幼稚園や学校がお休みの時にセブの語学学校みたいなところに行くのはどう?と聞いてみると「イヤだ」と返事がありました。
ドゥマゲテに行った頃はセブの語学学校なら行きたいと言っていたのに・・・。
日本に帰ってきたらやっぱり日本が一番の様です。
今後のプランについてはまた記事にするので興味がある方は見てもらえると嬉しいです。