ドゥマゲテ親子留学 コロナ中断して緊急帰国しました

2019年12月末から5歳と2歳目前の息子とフィリピンのドゥマゲテと言う町で親子留学をしていましたが、2020年5月にコロナのため帰国しました。

帰国して約一か月経ちだいぶ落ち着いてきたので、振り返りをしておこうと思います。

セブではなくドゥマゲテを選んだ理由

2019年6月~7月にセブで2週間過ごし、Sotaと私は語学学校に通いました。

Sotaは語学学校がとても楽しかったようで、次もここに行きたい!と言っていました。

当初は次回もセブでと思っていたのですが、

  • 生活費が思った以上にかかりそうなこと
  • 子供たちが走り回るスペース(公園など)がないこと
  • 予定している語学学校の教室も狭くて飽きそうなこと
  • 交通量が多く空気が悪いこと

などから他の場所を検討することになりました。

学校教育は全て英語で行われているフィリピンで、物価が安くて、治安も良いところはないか探していると、セブの南側にある島、ネグロス島のドゥマゲテ(日本ではドゥマゲッティ表記が目立ちますが英語ではDumagueteです)が候補に挙がりました。

調べてみるとセブからもほど近く、ダイビングスポットへのアクセスも抜群、ちょっと田舎でのんびりしている、リタイア後に住みたい街に選ばれたり、外国人を受け入れる学校も多そう、親子留学している方も多いとの事で下見もせずにドゥマゲテに行くことを決めました。

語学学校に通う費用を考えると、現地校に子供たちを入れてしまった方がだいぶ節約になりそう。と言う事で、幼稚園に通わせる案が出ました。

ドゥマゲテの現地コーディネーターに連絡し、住まいを手配、年明けに学校見学を予約しました。

2019年12月ターシャを見にボホール島へ

行き先がドゥマゲテになったので学校の始まる年始からでも良かったのですが、セブの語学学校に行く予定で先にフライトだけおさえていたので、変更キャンセル料を考え、そのまま出発することにしました。

出発は12月クリスマス前、子供二人を連れてセブへ出発。
空港へは夏にお世話になった家政婦さん、デイシーが迎えに来てくれました。

セブに2泊してからフェリー(オーシャンジェット)でボホールに向かう予定でしたが、台風のためフェリーが欠航。
予算を大幅にオーバーしてしまいましたが、デイシーの働きのおかげもあり何とかフライトを手配してボホールに行くことが出来ました。

ボホール島ではオーガニックレストランで有名なホテルに宿泊して、プールと食事を堪能、ゆったり3泊してクリスマスもそこで過ごしました。

念願のターシャ。小さくて可愛かった。。。

2019年12月27日ドゥマゲテ入り

ボホールからドゥマゲテまではフェリー(オーシャンジェット)で向かい、トライシクルでアパートに到着しました。

外観も素敵だし、部屋は2ベッドルームで広々(私たちには広すぎる)で子供たちが走り回るには十分でした。

敷地内にも遊べるスペースがあり、後々に日本人のお友達がたくさんできたので、このアパートにして良かったと思いました。

入居翌日から家政婦さんも手配していたので買い出しなどが大助かり。
一人で全てこなしているママさん、凄すぎます。

イッサとは4日だけのお付き合いでしたが、一緒に過ごす時間が長いのでそんな感じがしませんでした。
年明けからは彼女の親せきのキティが家政婦として通ってくれました。

2020年1月 フィリピン親子留学スタート

年明けに学校見学をし、1月からサイモン モンテッソーリ スクールに兄弟そろって通い始めました。
しかし、Sotaが2か月持たずに登校拒否。

2歳になったばかりのRyutaは私の心配をよそに、楽しそうに学校に通っており、家政婦さんにもよく懐いていました。

Sotaは3月から家庭教師を雇い始めました。
4月5月の夏休みもみっちり勉強し、6月の新学期からまた学校に通えたら良いなと思っていました。

しかし、コロナ感染者が中国からの観光客としてドゥマゲテにも滞在していたことが分かり、一時期騒然としました。(男性は亡くなりました)

2020年2月 両親とオスロブ・スミロンへ

2月末にベトナムで日本語教師をする父の学校が休みになったことから、私の両親が遊びに来て、ジンベイザメと一緒に泳げる(水中から見ることが出来ると言った方が正確)オスロブへショートトリップ。

オスロブから海を渡ったスミロン島には感激。
人生で一番キレイな海でリゾートを満喫しました。

2020年3月 両親とダウィン・アポへ

当初から予定していた3月初旬にも両親がまた遊びに来てくれました。
今回はウミガメと泳げることで有名なアポ島へ。

コロナ騒動がありアポ島へ行くのにもパスポートが必要になり、入場制限も行っているようでした。

警戒レベルが徐々に引き上げられていましたが、まさかここまでの事態になるとは思っていませんでした。

3月13日だったでしょうか、マニラからの出国が14日までしか出来ないとニュースで流れました。

15日に帰国予定だった父は帰国を14日に早め、ドゥマゲテから無事にベトナムへ戻る事が出来ました。

3月18日に帰国予定だった母とは、マニラがダメならセブ経由で帰れば良いかと呑気に話している内に、ドゥマゲテから出られなくなってしまいました。

母が帰国できなくなり2ヶ月近く滞在

当初は楽観視していましたが、ロックダウンの延長でだんだん焦ってきました。
3月末が4月中旬に、また伸びて4月末になり、5月中旬になりそうな予感。
なかなか解除されません。

母の持病の薬を手配するのに走り回ったり、一日中家にいる子供の相手、仕事、家事、制限のある買い出しなど、今思えばその心労が一番しんどかったです。

3月下旬から何度かチャーター便を利用して帰る情報がありました。
しかし、フェリーとバンでセブまで移動、セブでのホテル滞在に10万円以上する航空券でセブから日本へ。その後の移動滞在の問題もあります。

母は短距離の歩行は可能ですが、車いすを利用するのでこのままでは一人での帰国は難しいと判断。

4月中旬になり、ロックダウンが解除されそうにないので、私たちも親子留学を断念し、母と一緒に帰国することに決めました。

(もし母が来ていなかったら、ひたすら学校が再開するのを待っていたと思いますが、これもタイミングだなと思い前向きにとらえることにしました。)

滞在していたゲストハウスは自主的にロックダウンしていて、3月中旬から自由に外出できず、4月には政府からのパスがないと外出できない状態でした。

子供と母は年齢的に外出が禁止されており、学校もないのでフィリピンで生活費を使ってまで滞在している理由がなくなりました。

家政婦さんもゲストハウスに入れないので私は仕事も出来ず、ただただしんどい日々でした。

毎日、必ず英語の勉強をするようにして過ごしました。

アメリカのチャーター便で緊急帰国

オーストラリアが出すチャーター便の話もありましたが、今回は縁あってアメリカが手配するチャーター便のタイミングで帰国が叶う事になりました。

長く待った甲斐があったと思ったのは全て「飛行機」で移動できた点です。

大荷物を持って子供二人と車いすで移動はとてもじゃないけど出来なかったと思います。

5月9日ドゥマゲテを出発

5月9日12:45 滞在していたゲストハウスを出発し、空港に向かいました。

成田空港に着いたのは5月10日14:00ぐらい。

飛行機を3つ乗り継ぎ、丸二日かけて日本に帰ってきました。

ホテル監禁の3日間

日本に帰国できたからと言ってすぐに自宅に帰れるわけではありませんでした。

検査をしてから結果が出るまで用意してくれたホテルで待機。
その間、部屋から出ることは許されませんでした。

5月12日の朝、陰性の連絡をもらいチェックアウトしました。

その後も公共機関を利用することは許されず、近くのホテルに滞在するか自家用車で帰る必要がありました。

同じホテルにチェックイン

夫が関西から車で迎えに来てくれる予定でしたが、仕事の都合でいつになるかはっきり分かりません。
お迎えが車でホテルに滞在する必要がありました。

ホテルまでは政府が出すバスで送ってもらう事が出来ますが、私たちにとって移動が本当に大変だったのでちょっと高いけど同じホテルに滞在することにしました。

一泊14,000円、食事別です。
食事はホテルのローソンで購入しました。

ホテルの無料バスで市内まで外出しても良いと言われましたが、2週間は大人しくしておきたかったので、外出は控えました。(他のお客さんと接触する機会を極力減らすため、本当に部屋から出ずにホテルのお庭に出るのも我慢しました。)

5月24日、晴れて自由の身に!?

夫が仕事の都合をつけて成田まで迎えに来てくれて、無事に自家用車で帰ることが出来ました。

帰りは私が運転すると言っていたのですが、疲れが出たのか気力がありません。
帰り道ほとんど寝てしまったのですが、なんとトンボ返りで夫が運転を頑張ってくれました。

帰国日から2週間は自宅待機なので、ひたすらひっそりとしていました。
そして5月24日、自粛も緊急事態宣言も解除されて晴れて?自由の身になりました。

私たちも一緒に帰国してきた日本人もみんな陰性でその後も問題なく一安心。

5月24日以降も必要時以外は極力外出しないよう、人と接触しないように気を付けてはいます。

幼稚園の手続きをしに区役所へ

緊急事態宣言が解除されてから大急ぎで幼稚園の手続きをしに、幼稚園と区役所に出向きました。

まだ人は少なめで区役所が空いていたのは助かりました。

Sotaは一度、退園しているので再度、30,000円の入園金と3,000円の検査料(やったかな?)が必要でした。(こんなすぐに帰って来るなら休園にしとけば良かった~)

自宅では自粛中でもやる事が盛りだくさん

ゲストハウスではひたすらヒマな毎日でしたが、日本の自宅となるとやる事がたくさんありすぎて手が回りません。

広~いお家の掃除に(笑)、6人分の食事の準備、子供の相手に週2回の買い出し、大好きな断捨離、お庭の木の植え替え、ブログにウェブコンテンツ作成、まだまだやらなあかん事がたくさんあって、嬉しいやら悲しいやら・・・です。

裏庭の生産性のない実のならない木を抜いて、Sotaが種から育てたレモンの木を植えます。

猫除けしてる土の部分に木が生い茂っていました。

木の根っこがスゴ過ぎて、2週間以上かけてまだここまでしか出来ていません。
手前と奥の切った状態の木は抜けそうにないので、下の方をカットかな。

今日までに10本近く抜きましたが、手が筋肉痛でおかしくなりそうです。

7月中には終われるように頑張ります!!

おうち英語はパルキッズでかなり順調

私のブログで最近かなり推している”パルキッズ”ですが、日本に帰国後のおうち英語もこのおかげで、リズムが出来ていてかなり順調に進められています。

Ryutaは90分のかけ流しを聞くだけ。
6月からはI can read ! のオンラインレッスンをメインで操作しています。

Sotaは毎日5つ以上のワークをするようにしています。

今年は年長さんですが、こどもチャレンジの1年生を受講しています。
小学校1年生の途中で日本に帰ってきても、勉強に遅れを取らないようにと思い受講していましたが、帰国後もそのまま継続しています。

国語2ページ、算数2ページで1日分ですが、2ページで1つ分としてカウントしています。

パルキッズのオンラインレッスン1回とプリント(今は3枚)で1つ、合計5つやるようにしています。

その時の状況を見て(ワークの内容が簡単だったりSotaがノリノリな時)8つこなしたりもします。

ご褒美はゲーム?YouTube?

5つ以上ワークをしたご褒美はゲームかYouTubeを30分です。
8つやっても1区切りなら30分です。いつ気付かれるかな(笑)

30分のタイマーが鳴ってもっとやりたい時は、またワークをするのですがその時は2つぐらい頑張れば30分延長できます。

追加ワークはチャレンジの時もあるし、オンラインレッスンや他プリントの時もあり、その時の進捗状況を見て私が判断しています。

ちなみにご褒美がいらなくても(見たいと言わない時もあります)、一日5つは必ずやっています。

毎日、勉強を見る方としては本当に大変で、なかなか集中しないSotaにイライラしますが、習慣付いてくれることを期待しつつ頑張って続けたいと思っています。

毎日のワークが尽きることは・・・ない!

6月4日現在、こどもチャレンジ6月号は既に終わりました。

4月分からあるパルキッズのプリントは5月末から始めたので、追いつくために3枚ずつ取り組んで来ました。

やっと6月分に突入できたので3日に1回に減らして、他の2日はチャレンジで無料印刷できるプリントなどをやろうと準備しています。

やる事がなくなったら、そろばんやピアノなど入れられるものはいくらでもあるので、今よりも勉強量が減る事はないでしょう・・・。

留学を中断したことについて

もし母が遊びに来ているタイミングでなければ、帰国せずに学校が再開するのをひたすら待っていたかもしれません。

それが吉と出るか凶と出るかは分かりませんが、帰国するタイミングだったかなと思っています。

家政婦もなく、子供は外出できない中での、パスで決まった日だけの食材の買い出し、一日中一緒の子供2人との事を考えると、母がいてくれて助かったし、おうち英語についても十分調べることが出来ました。

何よりSotaが登校拒否していたので新学期から行くかも微妙でしたし。。。

私が好きな幼稚園に兄弟ともまた通えることになったし、今でも英語は上達中だし、結果良しと言う事で!(そう言う事にしといてください・・・)

約5か月で英語は上達したか!?

0か1かと聞かれたら1ですが、正直、胸を張って上達しました!話せるようになりました!とは言い切れません(;^ω^)

しかし、中国人のお友達と遊びたい時や家政婦さんに話しかけたい時には英語を使わなければならないので、英語と言うコミュニケーションツールがあると身をもって感じられたと思います。

Sotaはおうち英語(私が家で勉強を見ていた)と家庭教師のおかげで、アルファベットの読み書き、小文字の認識などがだいぶ出来るようになりました。

Ryutaは簡単な会話ですが、英語で話しかけると自然に英語で返せるようになりました。

私が目標としていた子供同士が英語で会話できるレベルになるには、やっぱり2年ぐらいは必要だったかなと思います。

それから年齢も大いに関係してくると実感しました。
それから全ての子が普通に学校に通うわけではないことも痛感しました。(他にも学校が合わずに通っていない日本人もいました)

今回はコロナで長期留学の予定が結果的に短期になってしまったわけですが、短期留学の場合はインプットではなく、アウトプットとして利用する方が理にかなっている感じがしました。

今後どうするか?夫をはじめ友達にもよく聞かれるのですが、私は日本の環境や教育が嫌いなわけではないので、中高ぐらいまで日本の学校には行って欲しいなと思っています。

ですので今後長期で親子留学をする事はないかと思います。が、短期では行くかもしれません。

何より海外旅行が好きなので、アウトプットの場と称して海外旅行の頻度が上がる可能性もあります(笑)

7月からは幼稚園が通常に戻る事を期待しつつ、次の旅行を夢見ながら英語のお勉強も頑張りたいと思います。

以後はお家での英語のお勉強がメインのブログになってしまうかもしれません。
子供たちの英語の上達具合を引き続き記録していくのでまた遊びに来てもらえると嬉しいです。

長々とお付き合いありがとうございました。