先日、フィリピンに戻りたくない理由をブログに書いたら、それを見た父からLINEが来ました。
私が夫に「日本に帰りたい」と言ったのはSotaが登校拒否して情緒不安定になり、Ryutaが頑張って行ってた学校もコロナで休校になり、いつ再開するかも見通しがつかなくなった時だけ。
それまでは1年後のパスポート更新で帰国するまでは絶対に帰らないと決めていたので、嫌だと思う事はたくさんあっても弱音を吐くことはありませんでした。
ドゥマゲテで出会った日本人はみんなすごく良い人で、その出会いには感謝していたし楽しい事もいっぱいありました。
最低でも1年は頑張って英語を習得する!!と言う強い意志があったので帰国すると言う選択肢が私の中にはなかったんです。
でも父は・・・「日本に帰りたい」と何度言っていたことか(笑)
ベトナムに移住したくて日本語教師になった父
3年ほど前に私とSota、母と3人でタイ旅行の予約をしていました。
しかし旅行前にRyuta妊娠が発覚。
私は行くつもりでしたが家族の反対があり諦めることになりました。
旅行のキャンセルより変更の方が手数料が安かったので、私の代わりに父が行くことになりました。
初めてのタイ旅行はとても楽しかったようで、そこから父はタイにドはまり。
ゴルフ仲間と頻繁にタイ旅行に行くようになりました。
何度もタイに行くうちに住んでみたいと思うようになったのでしょうか?
日本語教師になればタイで生活できると言う情報を仕入れたのか否か、仕事帰りに日本語教師の専門学校に通う日々が始まりました。
1年間、サラリーマンと学生を両立させて、64歳でついにベトナムへ!!
ってタイじゃないんかい!!!!
日本語教師を視野に入れてからタイの日本語学校にも行ったりしたそうですが、どうやらお隣のベトナムが気に入ったようです。
学生さんも勤勉でよく勉強するらしく国民性が気に入り、またご縁があって今の日本語学校で働かせてもらう事になりました。
住んでみないと分からないベトナムの現状
フィリピンもベトナムもどこの国も・・・やっぱり旅行ではなく住んでみないと分からない事ってたくさんありますよね。
まずは私のブログを見た父の感想をご覧ください。
ゴミはベトナムも同じですネ。
平気でポイ捨てをするし、ところ構わずタバコを吸っている人が多いですネ。
物乞いの子供もいます。
フィリピンに比べると少ないですが、大人の物乞いも時々見かけます。
列にに並ばずに平気で割り込んで来る人が多すぎます。
おばちゃんだけでなく、若い女性や男性も然りです。
平気で遅刻する(遅刻は悪いことだと親や学校で習わなかったようです。親や先生も遅刻するので、全く気にしていない人が多い)し、約束をドタキャンするのもよくある話です。
学校のスケジュールもいつの間にか変わっていることがあるし、こちらから聞かないと言ってくれないケースがほとんど。
そして、本気で謝らない。すぐに言い訳を して、人のせいにします。
あるいは、言った人を攻撃してくることがあります。
交通ルールがなっていなくて、譲り合いの精神が皆無です。
優先順位は、大型の車(トラック・バス)>普通車>バイク>人間の順番です。
人が道を横断している時も、車やバイクは止まらずによけて行くだけで、クラクションを盛んに鳴らします。
歩道がバイク置き場になっていて、人が歩道を安心して歩くことができません。
広い歩道は、時々バイクが走りますし、一方通行もなんのその、逆走も度々目にします。
これ以外にもいろいろあります。
文化の違いとは言え、お父さんにはじわじわと効いて来て遂にストレスが襲いかかって来た感じがします。
ある意味いい時期に日本に帰れることになったと思っています。
あと授業は31日だけです。そこそこ頑張ります。
なっ長い(笑)
じわじわと効いてきて遂にストレスが襲い掛かってきたと言っていますが、当初から何度も「帰りたい」と聞いています(笑)
まだあったフィリピン人の嫌なとこ
そしてこのメールを見て思い出しました。
私のフィリピンで嫌だったこと!!
「毎度毎度の交渉が嫌」
トライシクルに乗る時は近場なら何も言わず行ってくれて10ペソ渡せばOKですが、少し面倒なところや遠いところ、複数人で乗る時は「How much ?」から始まり交渉しなければなりません。
また八百屋さんなどは外人の私に対して吹っ掛けてくる。
安いとは言え、この前も買ったし、100円って分かってるバナナを200円で買うか!!!
って感じでとにかく交渉が面倒でした。
それからもう一つ(まだあったんかい)
「遅刻ドタキャン当たり前」
幸い私の家政婦さんは時間も約束もしっかり守るタイプだったのでストレスはありませんでしたが、フィリピン人のルーズさを目の当たりにしたのは、家庭教師の面接の時。
そもそもFB募集要項を読んでいない。
ビサヤ語使った時点でアウトだって書いてるのにビサヤ語で連絡してくる。
もちろんそんな人は面接もしないけど、きちんとメッセージを送ってきた大卒でSotaの気に入りそうなお姉さんと5人ほど面接の約束をしましたが、結局来たのは一人だけでした。
他の4人は時間が過ぎてから別の日に変えてほしいと連絡が来るのはまだ良い方で、ドタキャンや連絡がつかなくなった人もいました。
そして来てくれた人も大幅な遅刻でしたが・・・すごく良さそうな人で、事情があったので採用することにしました。
時間はきっちり守ってくれていたのですが、日数や時間を増やせ、給料を上げろ、(バイクあるって言ってたのに、トライシクルできてるから)交通費を実費負担しろだの、だんだん面倒なことを言うようになってきました。
うーん、他の家庭教師探そうかなと思っているところでコロナのロックダウンだったのでそのままサヨウナラしました。
とまぁ父のメールをきっかけに嫌だったことを思い出したのですが、これらって住んで現地の人と交流しないとなかなか分からない事ですよね。
そして日本がいかにキレイか、時間や約束を守れる素敵な国かと言う事が分かります。
1年6か月のベトナム移住にピリオド
何だかんだ言って父は1年6か月もベトナムで日本語教師を務め、12月頭には日本に帰ってくることになりました。
文句を言いながらも1年6か月と言う長い期間、ベトナムと言う日本と全く異なる環境で良く頑張ったなぁと思います。
「先生」と言われるお仕事が父には合っているんだと思います。
人に教える事、人に慕われることが父の幸せのようにも感じます。
娘からすると天職のようにも思えるので、帰国してからも個人でやったらいいんじゃないかと勝手に思っています。
「日本に帰りたい」のはずっと大好きな母に会えなくて寂しいだけかと思っていましたが、異文化の色々なことがストレスだったんですね(笑)
当初はシャワーのお湯が出ないとか色々言ってたなぁ。
めっちゃ満喫してる感じやけど(笑)
兎にも角にも「お疲れ様」ですね。
帰ってきて2週間の自宅待機を終えたらクリスマス、年末年始と家族イベントが待っています。
一回り大きくなった孫と思う存分遊んで(1日でもういいわって言いそう)少しゆっくり休んだら、また私のように何かしたい意欲が湧いてくるんじゃないかな。
やっぱり親子留学をしたい
帰国してすっかりチャージできた私はまた活力が湧いてきました。
長期の親子留学に今を選んだのはSotaの学校の勉強の心配がないからでした。
私が費用的に長期で親子留学に行ける国の中で、日本の学校の勉強は(英語以外は)レベルが高い方だと思うし、帰国してから勉強について行くのが大変だと私がしんどいなぁと感じたので年長~1年生を考えていました。
しかしコロナで帰国した今、計画が狂ってしまったのでもう長期での親子留学は考えていません。
帰国した当時は国内だけでどうにかしようと思っていましたが、海外旅行が趣味の私。
海外に行かずして何のために生きて(働いて)いるのか?
楽しみがなくなってしまいます。
と言う事で、学校の休みごとに(理想は夏・冬、出来れば春も)親子留学に行こうと思います。
ついでに海外で仕事もしてくれば、語学・旅行・仕事の一石三鳥!!!
これからも私は走り続けますので、どうぞよろしくお願いしまーす。